2012年05月26日
スペインギタリストの、飯田明さんの家族が沖縄へ移住しました‼


ゲンちゃんの友だちの、三瓶ちゃんの友だちのスペインギタリスト、飯田明さんの家族が我が沖縄へ移住して来たと、幸子さんから聞きましたよ~‼ \(^o^)/
ゲンちゃんは、まだお会いしていませんがぜひ、早くお会いしたいと思いますよ~‼
明さん、お待ちしておりましたぁ~‼
タップリと、ユンタクしましょうね~~‼
Posted by ゲンちゃん at 20:38│Comments(3)
この記事へのコメント
ごぶさたです
すごいです
フラメンコギターですね
出来ましたら・・・
僕もお会いしたいです
よろしくです^^
すごいです
フラメンコギターですね
出来ましたら・・・
僕もお会いしたいです
よろしくです^^
Posted by rau at 2012年05月27日 11:07
うらちゃん、おひさ~~‼
飯田明さんと、一緒に会う時には声をかけますのでユンタクしましょうね~‼
飯田明さんと、一緒に会う時には声をかけますのでユンタクしましょうね~‼
Posted by ゲンちゃんより at 2012年05月28日 00:14
1977年頃、蒲田で飯田明先生にクラシックギターを習っていました。
先生に付いて習うのは始めてでしたが、調弦から足の立て方、アポヤンドなど基本を教えていただきました。
発表会には一度参加し、ラモー「ふたつのメヌエット」を演奏しました。
その後、郷里宮崎市で農業をしていた父が病気になったため、その年昭和52年の11月で蒲田駅前に工場があった「ウッドワードガバナーカンパニー日本支社」を退職し、帰郷しました。
蒲田駅近くには「イフ」という喫茶店があり、親切なママがいて、色々お世話になりました。飯田先生も良く来られていたようです。
私は最終的には「アルハンブラ」「アラビア風」まで一応演奏していました。
50歳台になって、演奏活動を再開、宮崎県西部の小林市の萩原博先生に再度開始しました。萩原先生は福岡教育大のギターサークル出身で、、トレモロ演奏を得意とされ、ご自分の教室にも「トレモロ」と命名されています。
私は、そこで「アルハンブラ」はまた弾くようになりました。
今は、宮崎市のエントランス公園ないの英国式庭園喫茶室で演奏活動をしています。
先生に付いて習うのは始めてでしたが、調弦から足の立て方、アポヤンドなど基本を教えていただきました。
発表会には一度参加し、ラモー「ふたつのメヌエット」を演奏しました。
その後、郷里宮崎市で農業をしていた父が病気になったため、その年昭和52年の11月で蒲田駅前に工場があった「ウッドワードガバナーカンパニー日本支社」を退職し、帰郷しました。
蒲田駅近くには「イフ」という喫茶店があり、親切なママがいて、色々お世話になりました。飯田先生も良く来られていたようです。
私は最終的には「アルハンブラ」「アラビア風」まで一応演奏していました。
50歳台になって、演奏活動を再開、宮崎県西部の小林市の萩原博先生に再度開始しました。萩原先生は福岡教育大のギターサークル出身で、、トレモロ演奏を得意とされ、ご自分の教室にも「トレモロ」と命名されています。
私は、そこで「アルハンブラ」はまた弾くようになりました。
今は、宮崎市のエントランス公園ないの英国式庭園喫茶室で演奏活動をしています。
Posted by 厚地哲夫(宮崎市) at 2019年07月30日 09:36